
落合陽一さんの「働き方5.0」という本を読んでみました。
この本は、コンピュータやインターネット、AIが進化した今の社会で、「人間がやるべきことは何か」ということを考察しています。
それはそれで、大変興味深く、面白かったのですが、僕が特に面白いと思ったのは、今を戦うために、「解決すべき問題を発見する能力」が必要というくだりの中で、落合さんが解決したい問題の例としてあげられていた内容とその発想法です。
それが、「世の中の継ぎ目をなくしたい」ということです。
そして、その一例として「継ぎ目のない建築」をあげられていました。
僕には、この「継ぎ目のない建築」という考えがちょっと驚きでした。
建築を専門にしている方は、大半の方が、当たり前に建築に継ぎ目はあるものだと思っています。
僕もそう思ってきました。
この継ぎ目があるからこそ、そこに「納まり」が発生し、それをどのように解決するかで建築の美しさが決まるみたいに思っています。
それが無い建築って、どうなんなんだろうと思う反面、きっと新しい社会では、そんな建築もありうるんだろうなと思います。
確かに最近では3Dプリンターで建築を造ったという例も海外ではあるようなので、まったくあり得ない話ではなさそうです。
ただ、ここで興味深かったのは、継ぎ目のない建築もさることながら、そういう発想法です。
落合さんも書いています。
「建築に継ぎ目がある」ことなど、プロの建築家はほとんど疑問に思わないのではないか。
解決すべき問題はその道のプロでなくても見つけられるということです。
当然、その先で問題を解決するには、専門家の知識と経験、能力が必要になってきます。
既成概念を打破するには、「素人」と「玄人」の両面が求められるといえるでしょう。
ここで大切なのは、「素人のように考え、玄人として実行する」ということのようです。
このように発想することで、規制概念を打破する新しい何かが生まれます。
「当たり前」だと思って受け入れている問題の中に「解決すべき問題」がひそんでいるのです。
それでは、「玄人のように考えて、玄人のように実行する」の場合はどうでしょうか。
その場合は、確実に何かを実現できますが、そこで解決されるのはかなりマニアックな問題で、素人には全く見えない、その分野ではエッジにある問題が解決されるだけだというのです。
確かに僕も普段の設計の仕事を振り返ると、完成してもだれも気付かれないだろうなという些細な問題を、とても気にして打ち合わせを重ねます。
こだわりといえるかもしれません。
こうしたことの積み重ねによって、質の高い建築ができるのは間違いないと思いますが、しかし、「素人のように考え、玄人として実行する」という発想はとても新鮮で、視野を広げてくれるように思います。
仕事を進める中で、こうした考え方も頭の中に入れて考えていくことは、とても有益だと思います。
普段当たり前だと思い込んでいる中に、解決すべき新たな問題が潜んでいるという、ちょっと刺激を受けた本でした。
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