浄土宗と浄土真宗、そして迷信?

昨日、伯母の1周忌に行ってきました。
従姉弟の旦那さんの実家がお寺で、そこで行われました。このお寺は浄土宗です。
お寺の建物は古く、160年前に出来たそうですが、今はあまり見ることができなくなった、日本建築です。
歴史を感じますね。
浄土宗の宗祖は法然上人ですが、その教えは南無阿弥陀仏を口に出して唱えればば、必ず阿弥陀如来の救済をうけて平和な毎日を送ることができるということのようです。
法要は1時間くらいでしたが、住職のお経を唱える声はとても気持ちの良いものでした。
いろんな住職さんのお経を聞いたことがありますが、みなさんとても声が良いんです。
きっと発声法など訓練されているのだろうな。
さて、今、現場が進行中の昭和区のお寺は、浄土真宗大谷派です。こちらは東本願寺です。
宗祖は法然上人のお弟子さんの親鸞上人ですが、こちらの教えも南無阿弥陀仏を唱えて阿弥陀如来のお救いを受けるという点では同じですが、浄土宗は念仏を「唱える」ことが重要であるということにたいして、浄土真宗では「信じる」ことが大切との教えのようです。
仏教については、にわか勉強ではなかなか理解できないのですが、昭和区のお寺の住職とお話をしていて、「あれー、そんなんだ」とびっくりしたことがあります。
よくカレンダーで、「大安」とか「友引」あるいは「仏滅」と記されている「六曜」がありますが、何かの日取りを決める時によく参考にされたかと思います。
特にお葬式などでは、日程を決めるのに、「友引」は「友を引く、友を道連れにする」といわれ避けると思いますが、しかし、これは仏教の教えとは全く関係なく、「迷信」なのだそうです。
ですから、全く気にする必要はないのですが、そうは言っても慣習で気にされるのであれば、それはそれで結構ですよということでした。
浄土真宗では、死とは人のゴールで、亡くなったらすぐに極楽浄土に行って、仏様になります。
ですから、通夜とかお葬式の後の「清め塩」もありません。これは古くから死を「穢れ」とし、不浄なるものとして恐れてきた歴史から、塩で清めるという風習があり、これも迷信なのかもしれませんね。
仏様になっているわけですから清めるなんて以っての外ですよね。
また、極楽浄土に行っているわけですから、「死出の旅路につく」こともありませんので、三途の川も渡らないわけです。
宗派によって、いろいろと考え方がちがうんですね。
昭和区もお寺ももうすぐ、竣工です。
あともう一息、頑張ります。