「ある日の村野藤吾」読んでみました

先日、本屋さんで、昔から気になっていた本を買いました。

 

「ある日の村野藤吾」という本ですが、ずいぶん前に発売されていて、、建築家の村野藤吾さんの日記と知人への手紙をまとめた本です。

 

村野さんについては、「豊かな空間と美しすぎる階段」でも書きましたが、僕がもっとも尊敬する建築家です。

 

1984年にお亡くなりになっていますので、もう36年もたってしまったんですね。

 

多くの名建築を残されていますが、そのほとんどが60歳を過ぎてからの作品です。

 

そんな事実もとても励まされます。

 

 

 

亡くなった時は93歳ですが、なくなる直前まで、設計を続けておられました。

 

確か、午前中まで、事務所で仕事をされ、自宅に戻ったところで倒れられたと記憶しています。

 

表紙にもありますが、

 

 

「一生の最後の日まで、鉛筆をはなさないでいたいものだと念願しております」

 

 

まさに念願通りの一生だったわけですね。

 

そんなすごい建築家ですが、どんな人であったか、生身の村野藤吾さんが、かいまみれるかと思って読んでみました。

 

ある時は、孫を可愛がるやさしいおじいちゃんであり、ある時は80歳を過ぎても、今取り組んでいる設計のために、アメリカ、ヨーロッパを長期に渡って旅をするという、妥協なきストイックな建築家です。

 

日記には様々な建築、都市に対する歴史的考察、観察、あるいはコンペの審査委員長になって、その苦労と自分のいたらなさに対する自己嫌悪、また、若い所員が村野さんに図面を見せないまま、建物を造ってしまったことに対する後悔など、人間「村野藤吾」がかいまみれます。

 

そして、僕たちから見れば、歴史上の建築家である、「フランク・ロイド・ライト」、「ミース・ファン・デル・ローエ」といった近代建築の巨匠に対しても、日本では過大評価しすぎではないかと冷静に評価されています。

 

確かに、調べて見ると、村野さんは1891年生まれ、対してミースは1886年、ライトは1867年ですから、ほぼ同時代の建築家ですから、見方も違ってくるのでしょうね。

 

特に興味深かったのは、お孫さんに対する手紙ですが、こんな感じです。

 

 

 

 

読めますか?

 

すごく「達筆」なのか、それとも失礼ですが、「へたくそ」なのか、よくわかりませんが、少なくとも僕が読もうとすると、ちょっとばかり苦労します。

 

実は、僕も字が汚く、田村設計時代は、指示した文字をスタッフが読めなくて、ずいぶん苦労させていました。

 

しかし、読めた時の喜びはなかなかのものだったようですが、無駄な時間を使わせていたなと今は反省しています。

 

そんなこともあって、この手紙をみて、とても親近感を感じましたが、

 

やはり、この本を作成するにあたり書跡判読に大変苦労した、と書いてありました。

 

字というものは、読めるようにに書いほうが良さそうですね。

 

 

そういえば、村野さんのスケッチもとても独特なんですよ。

 

 

 

 

 

 

流れるような線が折り重なって、何かを表現されています。

 

どの線が最善で、自分の思いにあうのか探っているようです。

 

しかし、こうしてみると、村野さんの独特な文字も、独特なスケッチも何か共通するやわらかさ、流れみたいなものを感じます。

 

そして、実際に造り出される、やわらかで、豊かな空間、こうしたもの全てを含んで、建築家「村野藤吾」なんだなと自分なりに納得した次第です。

 

 

このブログを書いていると、また、「村野藤吾」の建築を見に行きたくなってきました。

 

 

予定、立てようかな。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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